ジュリアンという映画を見た。 離婚した夫婦の問題と共同親権の間に挟まれた子ども、徐々に凶暴になっていく父を描いたサスペンス映画。
2017年のフランス映画でフランスでの映画タイトルはJusqu’à la garde。「親権」みたいな意味らしい。
監督はグザヴィエ・ルグラン。ドランじゃないからね。
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多くの人とは違った感想を持った
この映画は多くの人が父親の暴力性を非難する感想を持っているけれど、僕は少し違う感想を持った。
それは、この映画には不透明な部分が多く、登場人物たちの行動には別の解釈も可能なのではないか?と感じたから。
映画では、離婚の原因は父親のDVだとされている。それは間違いないのだろう。
しかし過去のシーンは一切描かれていない。
また、父親が過去に警察に逮捕されたという描写もない。
DVによる離婚であることは間違いないけれど、その”程度”はどうだったのだろうと思った。
もちろん、カッとなって頬を叩いただけでもDVには違いない。
けれど、もし僕たちが想像するような、殴ったり蹴ったりするような激しいDVだったとしたら、彼は一度警察に捕まっているのではないだろうか?
そして、執行猶予がついている状態なのではないか?職も失ってるのでは?でも、そのような要素は一切ない。
冒頭では防火担当員として病院に勤務している説明がある。
ここから推測できるのは、DVの程度はそこまで酷くなかったのではないか、ということだ。少なくとも警察に捕まるレベルではなかった。 離婚理由には十分なるけれど、共同親権を認められる程度だったとも考えられる。
ここからは母親の行動が、父親を追い詰めていた可能性を書いていく。
上記を前提に進めると、映画内で父親が最終的に銃を持ち出すまでに至る過程で、母親が様々なストレスを父親に与えていたのではないか、という考えが浮かんでくる。
冒頭のシーンで、母親は「私たちの平穏を願います」と言う。
裁判員から「私たちとは誰のことを指していますか?」と問われた時、一瞬言葉に詰まる。
そして「もちろん、私と子供たちです」と答える。 しかし、物語後半で母親に新しい恋人っぽい人がいることが判明する。
つまり、この「私たち」には、新しい恋人?も含まれるのではないか?
もちろん、裁判員からの質問だけで新しい恋人がいると判断することは難しいだろう。
後半の恋人の有無も絶妙にどちらとも取れるように描かれてる。
しかし、この微妙なニュアンスは父親にとってストレスの種になったともとれる。
他にも、以下のような点が気になる。
- 家にいるのにいないとバレバレの嘘をつかれる
- 母親からお願いしてほしかったこと(娘のパーティに行かせたいので、面会日程の調整)を電話で言及したところ、「日程変更してくれる?」と「お願い」ではなかった。
- 電話番号を教えない、ころころ変更する。
- 新居の住所を教えない。
- 新しい男の存在をはぐらかす。
もちろん前提として、父親が母親にDVをした事実は間違いない。
ただ、その程度によっては、母親が過剰な防衛反応を示し、上記のような対応で父親にストレスを与えていたとも考えられる。
また、子どもの視点も、母親のバイアスがかかっていそう。
母親と一緒に住んでいる子供たちはひどく父親を嫌っているのも気になる。
これも悪意なく母親によってバイアスをかけられている可能性がある。
僕の経験上、片親となった子供が望むことは、一緒に住んでいる親の機嫌が良いことだ。
なので、中庸な意見は言えず、母親が悲しんでいたら味方になり、父親が憎いと言われたらそう思うようになる。
ストレスをかけられた父親は苛立ち、車内で子供に強く当たるシーンがある。
それによって、子供たちの「父親が憎い、悪い」という思考は強固なものになるが、その入口には、母親によるバイアスがあるように感じる。
子どもが現在、生活を共にしているのは母親だし、日常的に母親が父親のヘイトを吐くような状況もあっただろう。
何度も言うが父親の行動は許されない。しかし母親も一方的な被害者ではないともとれる。
感情的になり声を荒げたり、強く当たる父親は確かに悪い。
しかし、そこに至るまでに受けたストレスを考えると、母親は無意識のうちに、ある種狡猾に父親を追い詰めていたとも考えられる。
ただし、ここで重要なのは、DV被害者は、加害者から身を守るために、様々な行動を取る。
連絡を拒んだり、嘘をついたりすることも、その一環としての可能性も十分にある。
母親の行動はDVによるトラウマからくる、自己防衛の手段だったのかもしれない。
上記でも書いたがそれにしては父側の状況に矛盾が出てくる気がする。
職があったり、過去に逮捕されてるシーンもない。
DVされた!と強く声を上げた結果ともとれる。
精神的苦痛は目に見える傷ではないので外からだと判断しづらく、たとえ頬を叩かれた程度でも大きなトラウマになることもあるだろう。
この点は描かれていないのが絶妙に上手いなと思った。
また、最終的に最悪の手段に出た父親の暴力行為は、決して許されるものではない。
感情をコントロールできず、暴力を選択した彼の責任は、非常に重い。
まとめ
この映画の感想で「父親が悪い」という意見が多いのは、父親の暴力的な行為が目に余るからだろう。
しかし、この映画には、描かれていない部分や、複数の解釈が可能な部分が多く存在する。
本当に父親だけが悪かったのだろうか? もしかしたら、母親も無意識のうちに、父親を追い詰めていたのではないだろうか?
そして、子供たちの認識には、母親のバイアスがかかっている可能性はないだろうか?
この映画は、観る人の視点によって、様々な解釈が可能な作品だと思った。
冒頭の陳述書を読み上げてるときに夫が弁護士と小声で話していたりと絶妙なシーンとかマジで上手いなと思う。
あと姉についてもたくさん不可解なシーンがあるけど、この記事では割愛する。
表面的な「DV夫クソ」以外の感想をもっと聞きたいですね。
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